狂犬病の話 |
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2019年4月5日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 4月になり、そろそろ狂犬病予防接種の始まる時節となりましたね。ここは1つ、動物の専門家、獣医師ならではの濃い話を展開しましょう。 本邦では1950年に狂犬病予防法の成立を見、飼い犬を登録制として狂犬病ワクチン接種を義務化したこと、併せて野犬の捕獲を鋭意進めたことにより、狂犬病の一掃に成功しました。1956年を最後として、それ以降は国内感染による狂犬病は発生していません。狂犬病はイヌに固有の感染症では無く、ヒトを含めた全ての哺乳動物に感染し (スペクトルが広いと言う) 最後は重篤な脳炎を発症させる恐ろしいウイルス感染症です。発症後の治療法はなく、狂い死にするのを見ているだけになります。幸いにして日本の野生動物からも狂犬病ウイルスは検出されていません。 但し、海外、特にアジア地区に於いては現在でも狂犬病が多発しており、毎年の死者は数万人に及びます。この様な状況を認識していない日本人が海外を訪れ、仏教やヒンズー教寺院の境内で野犬に咬まれたり、森から姿を現した小動物を撫でようとして咬まれたりする例が散見されるところです。ホテルに戻りフロント係に、さっき観光に出かけたお寺でイヌに咬まれちゃったよ、と話したところ、相手が青くなり大騒ぎになったとの事例も聞くところです。 本邦でも現時点で、狂犬病の患者自体は発生しています。これはいずれも海外の狂犬病汚染国で咬傷を受け、帰国後に感染が発覚した患者になります。 その一例ですが、 厚生労働省検疫所 狂犬病発症2例目!! (フィリピンから10月22日に一時帰国の横浜市男性)平成18年11月22日狂犬病を発症した患者(輸入感染症例)について今般、フィリピンより帰国した横浜市の男性が、現地で狂犬病ウイルスに感染し、国内で発症したことが確認されましたので、その経過等についてお知らせします。1.患者に関する情報@ 年齢・性別 60歳代 男性A 経過10 月22 日フィリピンより帰国。11 月15 日風邪様症状と右肩の痛みが発現。11 月19 日A病院を受診。点滴及び血液検査を受け帰宅。夕方薬を服用しようとしたが、飲水困難となる。夜になり呼吸困難を呈する。11 月20 日A病院に再度受診。興奮状態となり、恐風症状及び恐水症状を呈していることから、狂犬病の疑いがあるとしてB病院に転院。11 月22 日現在、人工呼吸器を装着。B 感染原因当該患者は、フィリピン滞在中(8月頃)、犬に手を咬まれており、これにより狂犬病に罹患したと判断される。なお、現地における暴露後のワクチン接種は受けていない。2.検査に関する情報国立感染症研究所において、PCR法による病原体の遺伝子の検出を試みたところ、狂犬病ウイルス遺伝子を確認。以上の検査結果及び臨床症状等を踏まえ、担当医師により狂犬病と診断され、今朝、管轄保健所に感染症法に基づく届出がなされたものである。3.厚生労働省の対応輸入感染事例の報告を受けて、検疫所等における渡航者向けの一層の注意喚起を行うとともに、医師に対する診断方法等の情報の周知を図ることを予定している。https://www.forth.go.jp/keneki/naha/01infectious/rabies061116/rabies061116.htm咬傷受傷後にワクチン接種せず3ヶ月後に発症ですね。<興奮状態となり、恐風症状及び恐水症状を呈している>と記述されていますのでその悲惨な病状が察せられるところです。尤も、その様な狂騒状態の日数は少なく、本人の人間としての尊厳はまだ保たれたでしょう。その後は確認していませんが呼吸中枢まで冒され死への転帰を辿ったものと推測されます。 狂犬病の恐ろしさを知り、受傷直ちに現地の医療機関でワクチン注射を開始すれば助かった可能性は大きかったと思いますが、日本国内は先人等の必死の努力の甲斐有って狂犬病洗浄国ゆえに、狂犬病に対する判断が甘かったのかも知れませんね。 以下参考サイト:国立感染症研究所 狂犬病とはhttps://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/394-rabies-intro.html狂犬病予防法http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=325AC1000000247誰でも読めます。緊迫感の感じられる、なんとも恐ろしげな内容の法律です。 |
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狂犬病からクリーン化された国は、日本、オーストラリア、グアム、ニュージーランド、フィジー、ハワイ諸島、アイスランド、アイルランド、英国(グレート・ブリテンおよび北アイルランドに限る)、スウェーデン、ノルウェーなどの数少ない国々ですが、これらの国の一部では狂犬病もどきと言って良い類似の感染症 (リッサウイルス感染症) にコウモリが感染しており、咬傷を受けて感染すると殆ど狂犬病に近い症状を発症して死亡します。本邦は先人の本症撲滅への篤い想いと努力が実りクリーン化され、現在も厳密な感染症予防管理態勢下にあります。その様な意識が波及した結果と院長は考えますが、幸い、コウモリに関しても狂犬病もどきの感染は検出されていません。 野生動物は人間に対する警戒心が強く、自分から人前に出て来て接近する事は考えられませんが、狂犬病に感染して発症している動物個体は、一種の狂騒状態に有り、平然と人間に接近して来ていきなり噛みつきますので、米国などで国立公園を散策中にリスが出て来た、可愛い〜、などと手を伸ばすと現地のレンジャーから、お前一体何をするんだとこっぴどく叱られてしまいます。狂犬病或いは狂犬病もどきに感染して発症しているコウモリは、山道を歩いている時などにいきなり舞い降りて肩に噛みついたりもしますので、厚めの生地の服で「武装」するのが最善です。まぁ、野生動物を甘く見ないことですね。人間に簡単に捕獲される様な個体についても、何らかの脳炎等を発症しているのではと疑うことが大切です。 |
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近年国内では野良ネコ、不要犬の殺処分をストップさせて命を救おうとの動きが活発化してきていますが、その様な国は数少なく、人間の命を奪いかねない、何の感染症に罹患しているか分からない類いのイヌやネコは殺処分して当然と考えられている国も厳然として存在します。院長が子供の頃は、野犬狩りの部隊の様な組織−おそらくは保健所の下部組織−が地域の野犬を捕獲する作戦を遂行した、との報道も耳にした記憶があります。実際のところ、小学生の時に近くの公園に遊びに行く際に、毎度襲いかかってくるイヌがうろうろしており、院長の同級生で親しかったY君 (その後慶応大に進学) は怖がってぶるぶる震えていました。自転車に乗っている時ですが、院長も道の横から突然現れ追いかけてきた野犬 (別のイヌ) に脚を咬まれそうになった事もあります。今とは隔世の感がありますが (これは東京23区内の話!)、その様なイヌ (時代からして既に狂犬病には感染していなかったはずです) が、狂犬病汚染時代には鋭意捕獲・殺処分され清浄化が成し遂げられた訳です。 狂犬病汚染地域で万一動物に咬まれた場合 (ウイルスは唾液中に存在)、傷口を石鹸を使い良く洗いウイルスを体内から排出する操作が大切です。院長コラムの破傷風の項でも触れましたが、咬傷のキズの状態が許せば血液をしつこく絞り出す操作も有効と思います。あとは直ちに現地医療機関を受診しワクチン接種等を受ける段取りとなりますが、不明時には大使館や総領事館等に迅速に相談すると良いでしょう。自分の人生が掛かっていますので大げさに騒ぎ立てるぐらいで良いと思います。 |
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感染が成立した場合、ウイルスは神経路をじわじわ遡上して脳に達します。この間1〜2ヶ月程度を要し、これが潜伏期となります。この間にワクチンの力でウイルスの遡上をストップ出来れば問題は起きませんが、ウイルスが脳に到達し軽度の脳炎症状が出始めたときはもう完全に手遅れとなり治療法はありません。破傷風は 『震える舌』で映画化されましたが、人間の狂犬病はちょっと映画化は出来ないレベルの病態となります。日本が狂犬病撲滅に邁進したのも患者の悲惨な末期を見た周囲の人々の強い気持ちがあったからでしょう。 このコラムでは具体的な画像の紹介は敢えて行いませんが、youtube にて rabies の語で検索すると、人間の感染患者の悲惨な映像が多々みつかります。インドなどでは日常茶飯の模様で、街角で狂乱状態に陥った、子供、壮年、老人の痛ましい姿を人々が取り囲んでじっと見ているシーンが映し出されますが、患者はその後2〜3週間後には気の毒ながら亡くなっている筈です。嚥下困難となり水を飲むことが出来なくなるのが特徴的です。母親が狂犬病の症状が出ている子供に水を飲ませようと容れ物を近づけると、ガタガタ震えてしまい容れ物を跳ね除けてしまうのです。狂犬病が浮浪イヌに蔓延している状況ですが、これが21世紀の現在だと信じられますか?周辺国挙げての飼育犬の登録とワクチン接種義務化、野犬の徹底した淘汰以外にこの悲惨な感染症を無くす道は無さそうです。 獣医療の話に戻しますが、飼い犬は年に一度の狂犬病予防ワクチンの接種が義務付けられています。接種率が低下しているとも聞きますが、飼育しているイヌが万一第三者に噛みついた場合に未接種の場合は大ごとになりかねません。どの様な経路で海外から狂犬病ウイルスが持ち込まれるか予測がつきませんので、飼い主また周辺の人々、そしてペットの命を守る為にも予防接種は必ず受けて下さい。感染症に対して甘い態度を取ると、一瞬にして先人が築きあげた防波堤を越えられてしまい、本邦が汚染地域との認定を受ける事になりかねませんが、これは名誉な話ではありません。 |
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コウモリが狂犬病もどきのリッサウイルスに感染すると書きました (勿論狂犬病そのものにも感染します) が、純然たる狂犬病が撲滅出来たオーストラリアでは一方 フルーツコウモリにこの感染が見られます。院長からすればこの感染症も狂犬病の範疇に含めて扱うべきと考えますが、噂では、狂犬病清浄国であるとの栄誉を失いたくないが為に、リッサウイルス感染症は狂犬病と異なるのだと政治的な背景で強弁していると聞いた事があります。観光客に対して狂犬病が無い国だ、安全だ、どうぞおいで下さいの旨を強調したい意図があるのではと思います。まぁ、オーストラリアの野生探訪を行う際にはコウモリに噛みつかれないよう、しっかりジャケットを着用して下さい。 日本は現在、リッサウイルス感染症を含め清浄化されている数少ない国ですが、自然の中に出かけてもいきなり動物に噛みつかれることもない別次元の国であると、皆さんにはその幸せを噛みしめながら深呼吸して戴きたいと院長は思います。そしてそれがどのようにして達成されたのかをどうぞ時々思い返してください。 狂犬病に関する本邦の動物検疫体制については本項の続編、『ザギトワ選手と秋田犬マサル』にて次のコラムにて触れます。 |
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