ハイエナA 進化 |
||
2019年6月5日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 英語版 Wikipedia のhyena の項https://en.wikipedia.org/wiki/Hyenaが大変充実した内容ですので、前回に引き続き、その記述参考にしながら話を進めたいと思います。今回は進化の項を採り上げます。 以下、本コラム執筆の参考サイトhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ネコ亜目https://en.wikipedia.org/wiki/Hyenahttps://en.wikipedia.org/wiki/Banded_palm_civethttps://en.wikipedia.org/wiki/Spotted_hyenahttps://en.wikipedia.org/wiki/Striped_hyenahttps://en.wikipedia.org/wiki/Brown_hyenahttps://en.wikipedia.org/wiki/Aardwolf |
||
起源ハイエナは2200万年前、殆どの初期のネコ亜目の種がまだ樹上性であった頃、中新世のユーラシアのジャングルの中に起源した。最初の祖先型ハイエナは現生のシマヘミガルス (タイガーシベット) にほぼそっくりだが、これは一番最初に記載されたハイエナ種である。この、Plioviverrops は、しなやかな動作のシベット様の動物で、ユーラシアに2200〜2000万年前に住み、中耳と歯牙の構造からハイエナ科として同定し得る。Plioviverrops の系列は、繁栄し、長い四肢とより尖った顎を持つ子孫を産みだした。これは北米のイヌ科が辿ったのとほぼ同じ方向性である。イヌ型ハイエナの興隆と没落Plioviverrops の子孫は1500万年前に繁栄の頂点を極め、30種以上がこれまでに同定されている。ホネ砕き者として特殊化している極く最近のハイエナ種と違い、これらのイヌ型ハイエナは、敏捷な身体のオオカミ様の動物であり、その中の1種に Ictitherium viverrinum が居たがジャッカルに非常に良く似ていた。中新世の化石発掘場ではイヌ型ハイエナが非常に多く産出するところもあり、Ictitherium 及びその他のイヌ型ハイエナの遺物が、他の全ての食肉目の化石を併せたものを凌駕するほどである。イヌ型ハイエナの衰退は700〜500万年前の気候変動の時期の間に始まったが、イヌ科動物が陸化したベーリング海峡を渡りユーラシアに達したときに情勢が悪化したのである。1つの種 Chasmaporthetesossifragus は何とか地橋を越えて北米に渡ったが、それをなし得た唯一のハイエナである。Chasmopothertes はイヌ科動物が独占していた、平地性でホネ砕きのニッチェ(生態的地位)から逸れ、チーター様の短距離疾走者として発達することで北米で暫くの間何とか生き延びた。イヌ型ハイエナは150万年前までに殆ど死に絶えた。砕骨型ハイエナ1400〜1000万年前迄に、ハイエナ科は2つの明瞭に異なるグループに分かれた。イヌ型ハイエナと砕骨型ハイエナである。祖先系の砕骨型ハイエナの到来は、非常によく似たPercrocutidae 科の衰退と付合する。砕骨型ハイエナは気候変動並びにイヌ科動物の到来−これはイヌ型ハイエナを消し去った−を遣り過ごして生き伸びた。砕骨型ハイエナは北米に渡ることは一度も無かった。と言うのは、イヌ科の亜科 Borophaginaeがそこでは既にそのニッチェを占めていたからである。500万年前までに、砕骨型ハイエナは、サーベルキャットが倒した大型草食獣の遺体を第一の餌としつつ、ユーラシアの優勢な腐肉食者となっていた。属の1つ Pachycrocuta は、200kgの巨大な腐肉食者であり、ゾウのホネを砕くことが出来た。後期氷河期に大型草食獣が衰退するに伴い、Pachycrocuta はより小さな Crocutaに置き換わった。 |
||
近代ハイエナの勃興現生のハイエナは、アードウルフ、ブチ、シマ、そしてチャイロハイエナの4種である。アードウルフはその系列を直接に1500万年前の Plioviverrops に辿る事が出来、イヌ型ハイエナの系列の唯一の生き残りである。その成功は一部はその昆虫食に帰することが出来る、と言うには北米から渡ってきたイヌ科動物と何ら競合には晒されなかったからである。兵隊シロアリが分泌するテルペンを消化できる無敵の能力は、その祖先がかつて悪臭を発する腐肉を強力に消化していたシステムを改変したものの様に見える。シマハイエナは、鮮新世アフリカの H. namaquensis から進化したのかも知れない。シマハイエナの化石はアフリカでは珍しくもなく、化石記録は中期鮮新世更には Villafranchian年代にまですら遡る。シマハイエナの化石は地中海地域では見付かっていないので、この種は他と比較すると後期にユーラシアに侵入した様に見える。ブチハイエナが氷河期の終わりにアジアで絶滅した直後に、アフリカから出て拡散していったのだろう。シマハイエナは鮮新世の間、ヨーロッパでは何度かは出現し、フランスとドイツでは特に拡散した。オーストリアのMontmaurin, Hollabrunn、ポルトガルの Furninha Cave、またジブラルタルのGenista Caves にも姿を現した。ヨーロッパのものの形態は近代の集団に外見が非常に類似するが、より大型で、チャイロハイエナに匹敵するサイズである。ブチハイエナは 1000万年前にシマ及びチャイロハイエナから分岐した。直接の祖先は、インドのCrocuta sivalensis で、これは Villafranchian 年代の間に棲息していた。祖先系のブチハイエナは、遺体を巡る競合者からの増大する圧力に呼応して、おそらく社会的な行動を発達させていただろう。斯くして、チームとして振る舞うことを余儀なくされた。ブチハイエナは、ホネ砕き用の前臼歯の奥に鋭い裂肉歯を進化させ、それ故、獲物が絶命するのを待つ必要も無くなった(これはチャイロ及びシマハイエナでも同様のことである)。斯くして、ブチハイエナは腐肉食者と同じく社会性狩猟者ともなったのである。彼らは、より大きなテリトリーを形成する傾向を強めたが、これは獲物がしばしば移住性であり、小さなテリトリーでの長時間の追跡は他の一族の芝地に足を踏み込むことになるとの事実から必要になったのである。ブチハイエナは鮮新世中期に、起源した土地から拡散しヨーロッパから南のアフリカ、中国に至るとても広い領域に急速に勢力を広げた。12500年前の草原の衰退に伴い、ヨーロッパからはブチハイエナが好む低地の生き物が大量に姿を消し、それに呼応する様に混成林が増大した。この様な環境の下で、ブチハイエナはオオカミや人間に打ち負かされただろう。と言うのはオオカミや人間は平地と同様森の中でも、また低地でも高原でも生きることが出来たからである。大まかに見て 20000年前から後には、ブチハイエナの数が縮小し始め、西ヨーロッパからは 14000〜11000年前には、地域によってはもっと早くに、完全に姿を消し去った。(以上、院長訳) |
||
イヌ型ハイエナが北米から遣ってきた「本物」のイヌであるオオカミとの競争に敗れ150万年前には絶滅し、他の動物と競合しないシロアリ食に特化したアードウルフのみ、現在に命脈を保っているわけですね。僅か2万年前までに西欧にブチハイエナが棲息していたと言うのには驚かされます。家畜のイヌの起源が早くは4万年前と推定されていますので、イヌを連れた人間がヨーロッパでブチハイエナと遭遇したのは間違いないですね。環境の変化の結果、同じく社会的な統制の下に狩りを行うオオカミとは競合し合う様になり、<イヌモドキ>に勝ち目は無くなったのでしょう。ちょっと哀しくもあります。現在はオオカミ(北方系の動物)が分布しないアフリカ、中近東、南アジアでタフに棲息しています。 |
||