逆立ちする動物 F 二足歩行との関係 |
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2019年7月20日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 人間が如何にして直立二足歩行オンリーへの道を歩むに至ったのか、その進化のあり方に関しては百家争鳴状態だと思いますが、逆立ちから見るそれへの批判的考察を今回試みます。まぁ、斜に構えてモノを言うどころか、ここでは完全にひっくり返ってモノを言いましょう。 |
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用立てとしての直立姿勢と直立歩行 姿勢とロコモーション (=移動運動性のこと) に視点を転ずると、或る動物が二足歩行を示すからと言って、それが二足歩行性オンリーの動物に進化するかは不明です。二足歩行の成立・移行を解明するなら、必要条件から十分条件を差し引きした余白を出来るだけ小さいものにする必要があります。院長の知る限りでは、この余白が大きすぎる論述が殆どと感じます。 ヤブイヌのメスの逆立ちが、この先に進化して、前足を利用しての逆立ち二足歩行動物化する為の前提条件である、との主張は意味が無いに等しいと思いますし、マダラスカンクが、相手を常に威嚇しながら歩行も出来てこれはなかなか便利だと、スカンクダンスを上達させて逆立ち二足歩行で普段歩く動物となることもあり得ないでしょう。彼らにとっては、素直に四つ足で歩く方がよほど楽で効率的だからです。 敢えて言うならば、コビトマングース、ヤブイヌまたマダラスカンクの逆立ち姿勢は、直立姿勢や直立歩行性が必ずしも二足歩行化に至るものではないことを明確に示して呉れる例ではと思います。詰まりは、頭を上にした直立二足姿勢や歩行動作が、偵察、威嚇、採食、運搬などの「用件」でそれを行うだけであり、それらがロコモーションとしての二足歩行性オンリーへの道に結びつくとは限らないと言うことを逆さまの姿勢から教えてくれている訳です。まぁ、二足姿勢や二足歩行を単に示すことと、ヒトに至る様な二足歩行性獲得とは別問題だろうと言うことです。その様な動作を観察すると、なぜ真の二足歩行能獲得と結びつけていつもセンセーショナルに騒いでしまうのか、人間どもよクールダウンせよ、とこれらの動物たちが例示してくれる様に院長は感じています。 |
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直立姿勢と直立歩行の開始が直立二足歩行オンリーに向かうのか 或る動物を観察し、それが示す二足立位や二足歩行を行うことと形態や運動性との適応関係を見る視点、換言すれば、その動作を示す動物が人間や類人猿の形態や動作に似たところを持つかどうかを比較・検討する研究は数多いのですが、実はそれはその事象間の関連性(=適応)を検証、記述するだけであって、どうやって他のロコモーションを捨てて二足歩行オンリーとなるのかのプロセス、即ち進化を巡る解明とは本質的に別の仕事の域に留まるものと院長は考えます。これを鋭く認識して動物の形態や行動を理解しようとする仕事は実は多くないと感じています。 クモザルに関しては院長は国内各地の動物園を始め、米国ニューオーリンズの動物園まで出かけて観察記録し、学術発表してきましたが、それが縁でNHKの動物番組に首を突っ込んだことがありました。クモザルは、尻尾を添えての腕渡り(前肢でぶら下がり前進するロコモーション)、四足歩行に加え、地面の上で、或いは水中で短時間の二足歩行(二足歩行の水中起源説?!)も行います。混合型ロコモーションを取る動物ですが、セミブラキエーター(未熟な腕渡り者)と呼ばれるおサルになります。 数年前に、クモザルの骨盤形態が類人猿のものの様にがっちりしている、時々二足歩行することに関連しているのだろうと指摘する論文が提出されました。実はクモザルの胸郭が類人猿やヒトに似て、程度は強くはありませんが扁平化している事は以前から知られ、院長はこれは腕渡りへの適応だろうと考えています。その論文は、似た様な運動特性を持っていると似た様な形態的適応(平行進化の成立)を示し、人間や類人猿の胸郭及び骨盤形態が、立位歩行や腕渡りに適応していることを傍証し得る貴重な仕事です。だからと言って、クモザルが将来的に二足歩行の頻度を上げ、他のロコモーションの比率を下げて人間の様に二足歩行性オンリーに切り替わる方向に乗り出しているのかは全く不明であり、この論文自体は「クモザルは時々二足歩行する、類人猿に似た骨盤形態の萌芽状態が観察された」 にとどまり、ロコモーションの移行のあり方を考察するものではありません。院長はそれ以上の評価は出来ません。クモザルが腕渡りや四足歩行性を卒業して二足歩行オンリーとなるシナリオを描く事と、このプチ適応を問う事とは、別問題だと院長は考え.る訳です。 特に、クモザルを含め、新世界ザルは尻尾の利用の面で旧世界ザルとは一線を画しており、腕渡りを見ても2つの前肢と尻尾との共同作業となり、体幹を直立させての捕まり立ち二足歩行−二足歩行開始の初期状態は腕渡りの開始とペアとして開始されただろうと院長は仮説を提示しています−の方向へは進化せず、詰まりはヒト型の二足歩行の獲得には繋がらない動物であると院長は考えて居ます。 如何にして進化が起きたのかは、誰もそれを見た訳でも無く、証拠を積み上げて仮説としての自説の論拠を固めるのみですが、松本清張ばりに言えば、「線」を繋がんとの問い掛け無しでは「点」自体の記述も見直し(再捜査ならぬ再記載)を余儀なくさせられる可能性(これこそ形態屋にとっては真の恐怖?)がある様にも考えています。 |
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ヒト二足歩行能獲得の考察の問題点 上に述べたことと重なってしまいますが、或る動物が例えば自発的に静的に二足で立つとします。「下肢がまっすぐに伸びた、即ち関節が伸展している、そしてその様な姿勢に適応的な筋骨格形態をしていることが分かった」との結果が出たにしても、それは当該動物の動作と機能或いは形態とが適応関係にあること、換言すれば広義のダーウィニズムの検証を行い得たに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもありません。その適応形態が仮にヒトのものに類似しているものであっても、ヒトの二足歩行性獲得への理解に繋がる仕事とは本来別のものです。記載を行う学問である形態学としては一丁前ですが。 このことは実はヒトそのものを材料として二足歩行オンリー性への形態適応や運動適応を調べる研究についても同様であり、例えば、二足歩行性を効率的に行えるような仕組みが存在していると分かっても、それは二足歩行性<獲得>への理解とは別の仕事であり、(当該種)の適応性を検証する仕事に留まります。 ヒトほどには巧みではありませんがテナガザルも二足歩行を行います。ヒトとテナガザルの二足歩行や形態を比較して、仮にヒトの方が効率的な二足歩行を行う事が明らかになったとしても、それは二足歩行の sophistication (垢抜け、巧緻化)が行われたことの証明にはなりますが、二足歩行がそもそもどうして始まったのかの解明には直結しません。 通常のロコモーションとして二足歩行性を行わない動物を、実験的に立位或いは二足歩行させて動作や形態変化を観察する仕事に関しては、得られた結果の解釈がより困難となります。元々立位或いは二足歩行を取らない運動性或いは形態ゆえ、得られた結果が何を意味するのか、それをもって何を主張したいのか、明確にアピールする必要が生じます。基本は調教や学習を通じて立位や二足歩行性を行わせることになりますが、運動性の特性や形態の代償的な変化などについて単発的に報告する形になりますね。ヒトの二足歩行性獲得への理解とは、更に一回り離れた仕事になるでしょう。実はヒトの逆立ち或いは逆立ち歩行の観察もこれと同類の仕事になります。どちらかと言えば病態生理学分野に近い仕事かもしれません。 二足歩行を行うヒトに四足歩行をさせて、運動性、或いは長年に亘る筋骨格系への影響を探る仕事を考えれば理解し易いでしょう。何らかの結果は必ず得られますが、研究をその先どうやって展開していくのか詰まりそうですね。赤ん坊のハイハイと比較でもするのでしょうか?或いは整形外科的な異常が生じたとでも? 本来のロコモーションでは無い動作をさせることで、個体間の学習の効果がばらつき、得られるデータは偏差の大きなものになることが予想もされます。それ故、余計に他との比較が行い難いものとなるでしょうね。 |
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終わりに 二足歩行化を開始し、人間の様にそれに完全に移行するプロセス、詰まりは四足歩行性を止めてどうして直立二足歩行化に向かうのかのまさに初期段階の成立の姿に関しては、別の<次元>の機構−おそらく固有の運動機能面での必然性−が噛んでいるのだろうと、院長は或る霊長類の観察例を元に考えています。現時点では論文化していないために内容は詳細に出来ず、仄めかしの様になり申し訳ありませんが、形態学を捨ててはいないものの、形態学を一旦離れて進化を考えようとの観点です。 院長の専門であるヒトを含む霊長類の二足歩行能獲得の問題に関しては、機会があれば後日そろりと触れていきたいと考えています。 これで<逆立ちシリーズ>のコラムは終わりとします。ご精読戴きありがとうございました。 |
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