ネズミの話L ドブネズミの外観・感覚・行動 |
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2020年5月10日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 家ネズミの筆頭格?であるドブネズミのお話の第3回目です。 以下、本コラム作成の為の参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/ネズミhttps://en.wikipedia.org/wiki/Dipodidaeドブネズミhttps://en.wikipedia.org/wiki/Brown_ratヌートリアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ヌートリアhttps://en.wikipedia.org/wiki/Coypu輝板 タペタムhttps://en.wikipedia.org/wiki/Tapetum_lucidum羞明https://en.wikipedia.org/wiki/Photophobia |
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外観ドブネズミ(以下ラットと呼称します)の被毛は粗く、茶色か灰色の色調ですが、腹側は色調が明るくなります。大型のネズミであり Black rat クマネズミ Rattus rattus (ネズミの中のネズミの意)の2倍の重さに達しますし、ハツカネズミMus musculus (小さな、小さなネズミの意) の何倍にもなります。 頭胴長は15〜28cm程度ですが、尻尾は10.5〜24cm程度で、頭胴長よりは短いです。尻尾は例えば幅の狭いパイプの上を水平移動する時などには明らかに転落防止のためのバランサーとして機能しますが、尻尾を利用して枝にぶら下がったりする機能は持ちません。この様な、把握機能を持つ尻尾のことを prehensile tail プリヘンシル テイルと呼称しますが、尻尾単独でぶら下がり、体重を支持できる尻尾のことをそう呼ぶ例が一般的に思えます。クモザル、オポッサム、キンカジュウ、センザンコウなどがこの能力を持ちます。院長が子供の頃に読んだ本に、ラットが尻尾を丸めて鶏卵を把握して引っぱるのは本当ですかとの質問が掲載され、回答者もそれはないでしょうと答えていた記憶がありますが、矢張りそれは無さそうです。即ちラットの尻尾は prehensile tail とは呼べません。尚、ラットの尻尾には毛はまばらで、表面がウロコで覆われており、オレンジ色の色素を分泌します。この尻尾は有袋類のオポッサムのものに外見的によく似ています。爬虫類と哺乳類の大きな違いの1つに、ウロコ vs. 毛皮の違いがありますが、ウロコの合間から毛がまばらに伸びる形態は、ウロコ→毛皮に進化する中間形態を示している可能性があります。遺伝子の解析を行うと面白ろそうです。 成体の体重は140〜500gですが、例外的に900〜1000gに達したとも報告されていまが、これは飼育下以外では期待できないでしょう。餌を自由摂取させて運動不足となれば、骨格のサイズは成長が止まっていても、脂肪太りで巨大化します。ネコ並みに大きくなったとの話は誇張されたものであり、或いはヌートリアやマスクラット(ラット同様に水辺を好む)と言った他の齧歯類を見誤ったものです。実を言うとラットを育種すると通常は300g以下(時にはそれよりずっと下)となることが通常です。 |
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感覚能力ラットは鋭い聴覚を持ち、超音波域までの感聴性を持ちます。また高度に発達した嗅覚も保有します。心拍数は300〜400回/分、呼吸数は100回/分前後です。ラットの視覚は毛色に色素の有るものでも貧弱で20/600前後です(正常者が600フィート 180m離れても視認出来る事物が20フィート 60cmに近づかないと視認出来ないレベル、ヒトでは盲人として判定される視力です、視力検査表の前にどんどん近づかないと見えないシーンを思い浮かべて下さい)が、一方、目にメラニン色素の無いアルビノの個体では更に悪く 20/1200前後且つ視界内で烈しく光を乱反射します。一部の動物ではタペタム(タペータム 輝板)と呼ばれる構造が網膜を裏打ちし、目に入ってきた光を反射します。夜行性の動物をフラッシュ撮影すると目が白く輝いているのがそれですが、ラットにこの様な構造が明確には存在しないとしても、外部からの光線を吸収する色素に欠ける為、光を眩しく感じる訳です(羞明 しゅうめい)。ヒトでもアルビノの方はこの様な理由から弱視傾向にある、と理解出来るでしょう。ラットはヒトの赤緑色盲者にも寧ろ似て2色を知覚しますが、色の彩度を感じ取る力は非常に弱いです。しかし乍ら、青色への知覚は紫外線域までの受光能力を持ち、他の種では見ることの出来ない紫外線を見る能力を備えます。紫外線をキャッチ可能な特殊な細胞が存在する訳ですね。モンシロチョウなども雌雄で羽根の紫外線反射率が大きく異なり、見分けが容易に付くと聞いたことがありますが、ラットも紫外線反射率が判り、モノの見分けが容易なのかもしれません。2007年の研究に拠れば、ラットがメタ認知機能(自分の思考や行動そのものを対象化し客観視して認識できる能力)を持つことが発見されましたが、これはヒトと幾つかの霊長類にのみ以前に知られていたことでした。しかし更に解析したところ、これは単なる条件付けの原理に従うものであることが示唆されました。 |
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行動特性 ラットは夜行性で泳ぎは上手で水面を泳ぎ進める事も潜水も出来ます。確かに水恐怖症ではないと見え、院長が学生時代に飼育していた巨大サイズのラットはぬるま湯に行水させると気持ち良さそうにしていました! 哺乳類を全般的に眺めると、実は水泳が出来ない方が稀と言えます。ナマケモノですらアマゾン川が増水して林床がプールとなった際には泳いで別の樹木に取り付きます。寧ろ地べたを這いつくばってのろのろ四足歩行して移動するよりは浮力の助けもあり好都合に見えます。 院長が飼育していたモグラで試しましたが、上手い泳法には見えませんでしたが一応泳げました。ぬるま湯の中を泳がせたのですが、湯がオレンジ色に染まり驚きました。視覚が不十分な分、オレンジ色の汗?を分泌して強い体臭を放ちマーキングに利用している模様ですね。余談ですが時々金色のモグラが捕獲されたと報道される時があるのですが、写真を見ると腹部のみオレンジ色になっていたりします。これをぬるま湯の中を泳がせると色素が抜けて只のアルビノのモグラとなるかもしれません。いわゆる哺乳動物学を研究している者はこの様に対象動物の生理解剖学的知見にからきし弱い様には感じています。獣医の院長からすると動物の外側だけ、上っ面を一生懸命探っている様に見えてしまうのです。尤も、その様な世界に形態学の知見・技能を保有している研究者が躍り出て、その分野で頂点に君臨するのも情けなくもありますが。学問の分野では鶏口牛後は慎むべきで、研究対象とはがっぷり四つに組むべきと考えます。学問に王道はありませんが、競争相手の居ない楽な小道に進む (素人・一般人相手にモノを言う、他の研究者が追試できない動物材料を次から次へと扱う) のは如何なものかと思います。 モグラとは5万倍ほど体重の重い巨体のゾウもまともに水泳できます。立派なシュノーケルを備えていますので溺れる事も滅多になさそうです。これに対し、霊長類は反重力方向に伸びた樹木を生活の場とする方向に進化しましたので、水とは縁が切れてしまい、自発的に水に入り好んで泳ぐ種は大変少ないです。院長も野生の大小類人猿が水泳する動画を見たことはなく、葉食性のサルであるテングザルが枝から川に飛び込むのは知っていますが泳いで岸に戻るのかは確認し得ていません。国内外含めて、例えば、フクロテナガザル(大音声でコミュニケーションを取り合う)の展示施設は、周囲を水路で囲った島に放し飼いするケースがありますが、水泳が得意であったらこれでは脱走されてしまいますね。動物の水泳行動については後日別個に纏めたいと思います。 細い金属製の丸棒を1m程度登攀し庭にしつらえた鳥の餌場に到達した例が報告されていますが、院長の考えではラットは基本的に垂直の媒体を抱え込んでそろりそろりと登攀する能力に乏しく、体重の軽いコドモラットであればこれは何とか可能だったのかも知れません。何度も繰り返しますが、体重が軽ければ様々な様式の運動が可能になりますが、一定以上の体重になるとその種固有の運動様式しか取り得なくなりますし、また筋骨格系もそのように進化してその動物の形を作っています。 ラットは穴を掘るのが巧みで広範囲の隠れ場所をしばしば掘り進めます。もし穴掘りに適した媒体(土など)に接近出来ればですが、野生化、飼育下の両方でラットは広範囲に巣穴を掘ることが知られています。ターゲットとする構造物にすぐ接近した場所に新たな巣穴を堀り始めるのが普通ですが、こうやって既存の巣穴の上に新たな巣穴を加えもする訳です。結果として、巣穴はたいていは第2の出入り口に加え、多層階のトンネル構造に発展します。老齢の雄ラットは普通は穴掘りはしませんが、一方、若い雌雄は精力的に巣穴を掘ります。巣穴はラットに温度が調整された安全なねぐらとなる他、隠れ場と食料貯蔵の場を提供します。周囲の環境に脅威を知覚した時には巣穴を逃げ場として利用します。例えば、突然の大きな音を聴いた後で、或いは侵入者から逃走する際には巣穴に待避します。それ故、巣穴掘りは<前−敵回避防衛行動>と記述され得、飛翔、凍りつき、脅威刺激回避と言った<後−敵回避防衛行動>とは逆のものとなります。 院長としてはこの様な動物行動学の概念や用語の命名については、失礼ながら当たり前過ぎることに名前を付けたりと随分悠長な学問と正直感じます。心理学、即ち文学、人文科学の範疇であって自然科学とはちょっと違う様には感じます。正直なところ、ヒト以外の霊長類 (non-human primates と呼称します) を含め、一部の動物行動学や動物心理学の論文を読む度に違和感を覚えることが多いのです(勿論、優れていると感じる論文は多々あります)。なんとなればそれら解釈はヒトの心理特性のフィルターを介しての対象理解に過ぎないからです。皆さんはどうお考えでしょうか? |
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