Ken's Veterinary Clinic Tokyo

相談専門 動物クリニック

                               





























院長のコラム 2020年8月10日


ネズミの話31 腺ペスト ペスト菌の病原性と免疫動態






 

ネズミの話31 腺ペスト ペスト菌の病原性と免疫動態




2020年8月10日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 ドブネズミを含めた齧歯類感染症のお話の第14回目です。ネズミとの関連では中世に爆発的流行をもたらした黒死病 Black Death について触れない訳には行きません。人類史に、また生物としてのヒトに与えた影響は甚大なものがありました。新型コロナウイルスも汎世界的な流行を見た点で pandemic ですが、解説を通じ、黒死病との類似点、相違点を考える為のヒントをお掴み戴ければ幸いです。その第5回目です。前回に続き、ペスト菌の細菌学的な側面について扱いましょう。

 ペスト菌の細菌学的な記述に関しては  https://en.wikipedia.org/wiki/Yersinia_pestis の内容がまだしも充実していますのでその記述をメインに、数回に分けて和文への訳出+解説を加えて行きましょう。内容的にはこれまでのコラムの内容と重複する箇所があります。尚、院長の専門である肉眼解剖学、機能形態学とは大きく離れる分野ですので、専門用語の訳出上の誤りも少なくなかろうと思いますが、ご寛恕戴ければと思います。



以下、本コラム作成の為の参考サイト:


https://ja.wikipedia.org/wiki/腺ペスト

https://en.wikipedia.org/wiki/Bubonic_plague


https://www.etymonline.com/word/bubonic


https://haleveterinaryhospital.co.uk/mice-and-rats-viral-and-bacterial-infections-2/


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト

https://en.wikipedia.org/wiki/Plague_(disease)


国立感染症研究所 ペストとは

https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/514-plague.html


横浜市 ペストについて

https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kenko-iryo/eiken/kansen-center/shikkan/ha/plague1.html


https://en.wikipedia.org/wiki/Plague_of_Justinian


https://en.wikipedia.org/wiki/Epidemiology_of_plague


https://en.wikipedia.org/wiki/Oriental_rat_flea


https://en.wikipedia.org/wiki/Yersinia_pestis

https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト菌


https://ja.wikipedia.org/wiki/通性嫌気性生物


https://ja.wikipedia.org/wiki/プラスミド


https://ja.wikipedia.org/wiki/III型分泌装置


https://www.nature.com/articles/nrmicro.2017.20

Assembly, structure, function and regulation of type IIIsecretion systems

Wanyin Deng, et al.


https://reasoniamhere.com/2013/09/29/what-happens-inside-of-a-mosquito-bite/


関西大学システム理工学部 機械工学科

ロボット・マイクロシステム研究室

http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~t100051/r_mosquito&needle_j.html









ペスト菌とは


病原性と免疫


 ペスト菌に感染した東洋ネズミノミ (Xenopsylla cheopis) は腸管中に黒い塊を抱えるのが見て取れる。このノミの前腸(前胃)はペスト菌のバイオフィルムで遮断されており、ノミが非感染宿主から吸血しようとする際に、刺し傷に中身を戻し感染を惹き起こす。


 都市並びに森林でのペスト菌の感染棲息環に於いては、感染拡大の大半は齧歯類とノミとの間で起こる。森林感染環では齧歯類は野生種だが、都市感染環では齧歯類はドブネズミ (Rattus norvegicus) である。加えるに、ペスト菌は都市環境から森林感染環に拡大しまた都市へと戻り得る。ヒトへの伝染は通常は感染ノミに刺されることを通じてである。病勢が肺ペスト型にまで進行してしまった場合、ヒトは咳、吐瀉物を通じ、また可能性としてクシャミに拠り、他の者へと細菌を拡大し得る。




保菌者に於ける動態


 幾つかの齧歯類が自然環境下でペスト菌の主たる保菌者となる。ステップ(= 草原)では自然保菌者は第一にマーモットであると信じられている。米国西部では、数種の齧歯類がペスト菌を維持していると考えられている。しかしながら、いずれの齧歯類にても、期待されていたような疾患動態(=どの様に感染、発症が起こるのか)が見出されていないままである。数種の齧歯類は抵抗性を持つものの、その抵抗性は変動し易いことが知られているが、これはこれらの動物が無症候性保菌者の位置に立ち得ることを示すものだろう。齧歯類以外にも他の哺乳類由来のノミがヒトのペスト大流行に役目を果たすことを示す証拠がある。


 哺乳動物に於けるペスト動態の知識の欠如は、オグロプレーリードック (Cynomys  ludovicianus) と言った感受性を持つ齧歯類についても当てはまる。その様な動物ではペストはコロニーを絶滅させプレーリードッグがその構成者となる食物連鎖に重大な影響をもたらす。しかしながら、プレーリードック間に於ける感染動態は、腸管がバイオフィルムで遮断された感染性ノミの挙動動態に一致しない。その代わり、死体、非腸管遮断ノミ、或いは別の媒介者がプレーリードッグでの感染成立に重要なのかもしれない。


 世界の他の地域では、感染の保菌者がどの動物であるのかは明確には突き止められていないが、これはペストの予防並びに初期警告プログラム作成を困難なものとする。その様な1例はアルジェリアでの2003年の感染爆発時に見られた。




媒介者


 ノミに拠るペスト菌の伝搬についてはその特徴が良く理解されている。ノミの最初のペスト菌獲得は感染動物への吸血時に起こる。次いで、ペスト菌の数種のタンパク質がノミの消化管内での菌体維持に貢献する、それらの内では、ヘミン貯留システムと  Yersinia  murine toxin (Ymt イェルシニアネズミ毒) が重要である。Ymt は齧歯類に非常に有毒であり、嘗ては新たな宿主をその毒性で倒し、感染成立を確実にする為に産生されると考えられていたが、実はこれはペスト菌がノミの体内で生き残るのに重要である。


 ヘミン貯留システムは感染ノミがペスト菌を哺乳類宿主に戻すのに重要な役目を果たす。媒介昆虫内でヘミン貯留システムの遺伝子サイトによりエンコードされたタンパク質が、前胃詰まりは中腸と食道を連結する弁にてバイオフィルム形成を誘導する。バイオフィルムが集結し凝血と細菌の塊(この現象を最初に記載した昆虫学者 A.W. Bacot の名から Bacot's block バコットのブロックと呼ばれる)を作り、これがノミの血液採餌を妨害する。即ち新たに吸引された血液はノミの食道に送り込まれるが、そこで前胃に留まる細菌が鮮血中に解き放たれ、宿主循環系への吐き戻しが為されるのである。斯くしてペスト菌の伝搬はノミが吸血しようとする無駄な試みの間に起こるのである。


*前胃部と言う場所に於いて何故バイオフィルムが形成され凝結と細菌の塊が形成されるのかは不明ですが、ノミの消化液の酵素活性が関与しているのかも知れませんね。

*蚊などの吸血昆虫に拠り感染症が広がりますが、これは細菌やウイルスがホスト体内に吐き戻されることを意味します。矢張り消化管中にバイオフィルムの様なものが産生されているのかもしれません。或いは、吐き戻しでは無く、恰も狂犬病のウイルスの様に、吸血昆虫の唾液中にウイルスが分泌されているのかもしれませんね。






https://www.nature.com/articles/nrmicro.2017.20

Assembly, structure, function and regulation of type III secretion systems

Wanyin Deng, et al.

Nature Reviews Microbiology volume 15, pages323-337(2017) Published: 10 April 2017


V型分泌系 (T3SS) とは恰も蚊の針に類似し、病原菌が宿主の細胞に針を差し込み、

管を通じて細菌内のタンパク質 effector を宿主に注入し相手側に病原作用を起こす

ものです。詳細な構造が既に判明しています。V型分泌系 (T3SS) の詳細を知りたい

方には好適な論文です。




Mosquito finds blood vessel

2013/08/06 edyong209

Capillary feeding by Anopheles gambiae. The proboscis is inserted

along the lumen of the blood vessel. Credit: Choumet et al, PLOS 2012.

https://youtu.be/MbXSPacvuak


蚊が細い血管を針で見つけ血液を吸い取るシーンです。V型分泌系の様な

生化学的反応に拠る<針刺し>とは異なり、機械的な探りを入れての

針挿入ですが、蚊も大した奴だと思わざるを得ません。関西大学の青柳氏

らに拠り、針を皮膚に刺入する際に3本のギザギサの針が協調運動を

行い、皮膚の歪みを生ぜず、これで無痛での刺入が可能なことが2018年

に明らかにされました。青柳氏らはこれを応用して無痛性の注射法を開発

しています。モンシロチョウが口器を伸ばして花の蜜腺を探る姿を連想さ

せますが、ずっと高度な技法に見えます。






ヒト並びに他の感受性を持つ宿主に於いての動態


 哺乳類宿主がペスト菌に感染した時の病原性は、幾つかの要因に拠るが、これには例えば大食作用や抗体産生と言った正常な免疫応答を抑制し排除するペスト菌の能力も挙げられる。ノミの刺咬は細菌が皮膚バリアを通過するのを許容する。生体内に侵入したペスト菌はプラスミンアクチベイターを放出するが、これは肺ペストの重要な病毒性要因であり、また組織への侵入を容易にすべくひょっとして凝血能を低下させるのかもしれない。ペスト菌の有毒性要因の多くは抗貪食性を本質的に持つ。F1 (fraction 1) 並びにV 或いは LcrV と命名される2つの重要な抗貪食性抗原は共にペスト菌の病毒性発現に重要である。これらの抗原はヒトの正常体温下でペスト菌が産生する。更に、ペスト菌はそれが例えば単球と言った白血球−好中球に対しては駄目だが−細胞中に生き残り、そこで F1 並びにV 抗原を産生する。自然免疫或いは誘導性免疫は F1及び V 抗原に対する特異的なオプソニン性抗体を産生するが、これは好中球の大食作用を誘導する。


 更に、V型分泌系 (T3SS) を通じ、ペスト菌はマクロファージ並びに他の免疫細胞中にタンパク質を注入する。T3SS で注入されるこれらタンパク質は Yersinia 外部タンパク質 (Yops) と呼称されるが、宿主細胞膜に芽胞を形成し、また細胞溶解に関与すると考えられて来たがこれには Yop B/D などがある。YopO,YopH, YopM, YopT, YopJ, 及び YopE は一部 YopB 及び YopD により作られた芽胞中の T3SS を通じて宿主細胞の細胞質に注入される。注入されたYop 達は宿主側の大食作用に、並びに以下に触れる様に、宿主側の、生来の免疫システムに重要な意味を持つ細胞信号路に制限を掛ける。更に、ペスト菌の系統群は免疫信号に (例えばサイトカインの幾つかの放出を妨げることに拠って)干渉妨害する能力を持つ。


 ペスト菌はリンパ節内で増殖するが、そこではマクロファージと言った免疫系細胞に拠る菌体破壊から逃れる能力を持つ。食作用を阻害するペスト菌の能力により、菌ががリンパ節で増殖し、リンパ節腫脹を起こすのが可能になる訳だ。YopH はチロシンホスファターゼタンパク質だが、ペスト菌が免疫系細胞を回避するのを助ける。マクロファージに於いては、YopH は、p130Cas, Fyb  (Fyn 結合タンパク)  SKAP-HOM 及び FAK に相同のチロシンキナーゼである Pyk を脱リン酸化することが示されてきている。YopH はまた、ホスホイノシチド3キナーゼの p85 サブユニット、Gab1、Gab2 アダプタータンパク質、及び Vav グアニンヌクレオチド交換因子を結合もする。


 RAC1 と言った GTPアーゼの Rho ファミリーのメンバーを助けるべく、YopE は GTPase賦活化タンパク質として機能する。YopT はシステインタンパク分解酵素であり RhoA −これはタンパク質を細胞膜に局在させるのに重要−のイソプレニル群を除去することに拠り RhoA の機能を阻害する。YopE と YopT は YopB/D 誘導性の細胞融解を制限する機能を持つのではないかと唱えられて来ている。つまり、これはひょっとすると、宿主細胞への Yop 挿入の為に利用される芽胞を作る YopB/D の機能を制限し、YopB/D 誘導性の宿主細胞の破裂を妨げ、また免疫応答を引きだし刺激する細胞含有物を解き放つのかもしれない。


 YopJ はアセチル基転移酵素の1つであり、MAPK キナーゼの、保護されたαヘリックスに結合する。YopJ は、正常状態では MAP キナーゼカスケードの賦活化の間に、リン酸化を受ける MAPK キナーゼを、セリン並びにトレオニンにてアセチル化する。YopJ は標的細胞のフィチン酸 (IP6) との相互作用に拠り、真核生物細胞に於いて賦活化される。宿主細胞タンパクキナーゼの活性のこの崩壊は、マクロファージのアポトーシスを起こし、また感染成立並びに宿主側免疫応答の回避に重要であると唱えられている。YopO は Yersinia タンパクキナーゼA (YpkA) としても知られているタンパクキナーゼである。YopO はヒトマクロファージのアポトーシスを誘導する力を持つ。


 どの型のペストにどの個人が感染するのかにより、ペストは異なる疾患に展開する。しかしながら、ペストは宿主細胞が免疫システムとコミュニケイトする能力に丸ごと影響を及ぼし、身体が食作用を持つ細胞を感染領域に運ぶのを邪魔するのである。


 ペスト菌は多才な殺人者である。齧歯類とヒトに加え、ペスト菌がラクダ、ニワトリ。ブタを殺すことが知られている。家畜のイヌとネコもまたペスト菌に感受性を持つが、感染時にはネコの方がより病勢を強める様に見える。いずれに於いても、症状はヒトが経験するものに非常に類似し致命的となり得る。人々は、感染動物(死んで居ようが生きていようが)に接触したり、或いは病気のイヌネコが空気中に咳で出した感染飛沫を吸い込むことに拠り、菌に晒され得る。









 ペスト菌の生化学的な感染・増殖戦略の解説でしたが、どうやってこの菌がリンパ節内で増殖し、免疫細胞の一部を破壊し、また免疫応答に障碍をもたらすのか機序が詳細に解説されています。近年の細菌学では、この様な<微視的>視点での細菌の生理、生化学動態の理解が相当に進んで来ていることを感じ取って戴ければ、一般の方々にはそれで取り敢えずは十分ではないかと院長は思います。