ネズミの話32 腺ペスト ペスト菌の単離とワクチン |
||
2020年8月15日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 ドブネズミを含めた齧歯類感染症のお話の第13回目です。ネズミとの関連では中世に爆発的流行をもたらした黒死病 Black Death について触れない訳には行きません。人類史に、また生物としてのヒトに与えた影響は甚大なものがありました。新型コロナウイルスも汎世界的な流行を見た点で pandemic ですが、解説を通じ、黒死病との類似点、相違点を考える為のヒントをお掴み戴ければ幸いです。その第6回目です。烈しい pandemic を惹き起こすペスト菌とはそもそもどの様なものなのか疑問をお持ちの方々も多いだろうと想像し、ペスト菌の細菌学的な側面について扱います。 ペスト菌の細菌学的な記述に関しては https://en.wikipedia.org/wiki/Yersinia_pestis の内容が国内のwikipedia の記事よりも格段に充実していますので、その記述をメインに、和文への訳出+解説を加えて行きましょう。尚、院長の専門である肉眼解剖学、機能形態学とは大きく離れる分野ですので、専門用語の訳出上の誤りも少なくなかろうと思いますが、ご寛恕戴ければと思います。 以下、本コラム作成の為の参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/腺ペストhttps://en.wikipedia.org/wiki/Bubonic_plaguehttps://ja.wikipedia.org/wiki/ペストhttps://en.wikipedia.org/wiki/Plague_(disease)国立感染症研究所 ペストとはhttps://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/514-plague.htmlhttps://en.wikipedia.org/wiki/Alexandre_Yersinhttps://ja.wikipedia.org/wiki/北里柴三郎https://ja.wikipedia.org/wiki/青山胤通https://ja.wikipedia.org/wiki/森鴎外https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木梅太郎https://ja.wikipedia.org/wiki/ワクチン以下引用:ワクチン(独: Vakzin、英: vaccine)は、感染症の予防に用いる医薬品。病原体から作られた無毒化あるいは弱毒化された抗原を投与することで、体内の病原体に対する抗体産生を促し、感染症に対する免疫を獲得する。https://ja.wikipedia.org/wiki/樹状細胞https://ja.wikipedia.org/wiki/アジュバント以下一部引用:免疫学の分野ではアジュバントとは、抗原と抗原性を共有することのないままに、免疫を強化する物質の総称である[https://ja.wikipedia.org/wiki/コクラン共同計画2020年6月7日附け AFP BB NEWS『伝染病とマスクの歴史、20世紀満州でのペスト流行で注目』https://www.afpbb.com/articles/-/3284745 |
||
ペスト菌とはペストのワクチンホルマリンで不活化した成人向けワクチンは過去には米国で入手可能だったが、ペストの症状を発症する高い危険性を抱えており、FDA(食品医薬品局)に拠り市場から排除された。またこのワクチンの効果は限定的で、重篤な炎症を惹き起こした。F1並びにV抗原に基づくワクチンを遺伝子工学を用いて作製する試験が進行中で、見込みが有りそうである。しかしながら、F1抗原はペスト菌の菌体を欠くにも拘わらず病毒性を持ち、またV抗原は変異性が大きく、これらの抗原から作製されるワクチンは防御性が十分ではないかもしれない。米軍感染症医学研究所は、F1/V 抗原に基づく試験的なワクチンがカニクイザルを感染から守るが、他方、アフリカのサバンナモンキー種を守り得ないことを見いだした。コクラン共同計画 Cochrane Collaboration に拠る系統的なレビューは、ワクチンの効能に関して十分な質を担保する研究が全く存在しないことを明らかにしている。*ワクチンには、病原体を適宜処理し感染性は持たないが抗原性を持つものを利用する場合(不活化ワクチン)と、病原体は生きており増殖性は持つが、病原性の極く弱い株を接種する方法(生ワクチン)の2つに大別出来ます。一長一短が有り、種類は違っていても最終的に当該の病原体に対するホスト側の免疫力を増大させ、抗体(病原体に結び付いて破壊する物質)を産生させる仕組みとなります。近年ではDNAワクチン(下記参照)の研究が進んでおり、これは従来のホストの自然免疫系を賦活化する機序に加え、DNAワクチンがホスト側の細胞内基質の未知の物質と相互作用し、炎症性サイトカインやインターフェロンなど(アジュバントと呼ぶ、免疫を強化するお助け物質)を産生するルートの存在も知られるに至っています。いずれにしても、出来上がったワクチンを人体に安全に応用できるかどうかは、最終的に人体を用いて実験するしか有りません。なかなか理論通りには上手く行かないのがワクチン開発の姿です。今回のコロナウイルスに対する安全なワクチンが早く完成すると良いですね。 *近年、何も病原体丸ごとからワクチンを作るのでは無く、抗原となる本質的な部分を取り出し、それを用いて効率的に抗体を産生させよう、との流れが出来ています。その1つが上でも触れましたDNAワクチン(プラスミドDNAと呼ばれる細菌由来の環状DNAに、病原菌側の抗原を発現する遺伝子を組み込んだもので、従来のワクチンに比べて、製法が簡便でコストも抑えられるため、各種感染症やがん、アレルギー疾患などに対する新たなワクチンとして広く研究され、その臨床応用が世界レベルで進んでいる)ですが、その生体内での免疫獲得に至る作用機序にはまだ不明なところがあります。7年前の論文となりますが、下記の総論にその当時までの知見が纏められていますので参考にして下さい。 Human Vaccines & Immunotherapeutics Volume 9, 2013 - Issue 10Review: DNA vaccines A simple DNA sensing matter?Cevayir Coban, Kouji Kobiyama, Nao Jounai, Miyuki Tozuka & Ken J Ishiihttps://www.tandfonline.com/doi/full/10.4161/hv.25893(無料で全文の pdf が入手可能です)*2008年の記事となりますが日本語の下記記事にてDNAワクチンの概略が掴めると思います。大阪大学免疫学フロンティア研究センター遺伝子(DNA)ワクチンの作用機序を解明(審良拠点長・石井准教授らが Nature に掲載)2008.02.07更新遺伝子(DNA)ワクチンの作用機序を解明(DNAワクチンの本格開発にはずみ)http://www.ifrec.osaka-u.ac.jp/jpn/research/20080207-0524.htm |
||
単離と同定1894年に2人の細菌学者であるスイスの Alexandre Yersin (1863-1943) と日本の北里柴三郎 (1853-1931) が独立に香港で第3のパンデミックの原因菌を単離した。2人の研究者は共に自分たちの発見を報告したが、北里が混乱し矛盾する発言を続けたため結果としてこの菌の最初の発見者は Yersin であると認定されるに至った。Yersin は働いていたパスサール研究所の名誉に於いてそれをPasteurella pestis と命名した。1967 に、ペスト菌は新たな属に分類し直され、彼の名誉を讃えYersinia pestisと再命名された。Yersin はまた、ペスト菌の流行中のみならずヒトに感染が流行する前にもラットがペスト菌に感染していること、多くの地域でペストがラットの病気として見做されていることを注記している。中国と印度の村人達が、多数のラット死体が見付かった時に、まもなく大流行の発生が続くと主張していたのである。*北里は Yersin の数日前にペスト菌を発見していましたが、実はこれはペストを起こすのとは異なる病原菌だった可能性が指摘されています。Yersin はヒトと同様齧歯類にも同じ菌を発見し、斯くしてネズミ−ヒト間の感染の可能性を裏打ちした最初の人物となりました。Yersin はフランスとスイスの二重国籍を持ち、両親がスイス系フランス人ですので、Yersin はイェルシンではなく、イェルサンと発音するのが正しい筈です。尤も、フランス語の姓でY(igrek イグレックと発音、ギリシヤ語由来の、の意味)で始まるものは非常に少なく、Yersin の祖先は非フランス系かもしれませんね。 *院長が学会で良くお会いする大先輩から、東京帝国大学医科大学内科学の青山胤通が香港に乗り込み、北里に対抗してペスト菌を単離しようとしたが失敗したと聞きました。北里が作った北里研究所を東大に吸収せんと動き(これは目黒にある現在の東大医科学研究所)、北里柴三郎とは激しく対立しました。世界の人々は北里の名は知っていますが青山の名は誰も知りません。また軍隊で問題となっていた脚気の原因が感染症であるとの森林太郎(森鴎外)の主張に与し、多くの兵隊を死に導いた黒い歴史も抱えています。当時の本邦の医学界 ヒエラルキーの頂点に君臨してはいても、domestic に留まる人物であったと言う事ですね。因みに、脚気の原因がビタミンの欠乏である事を明確にしたのは、東京帝国大学農科大学の鈴木梅太郎ですが、院長は指導教官から彼の著作『ビタミン』の古色然とした本を、お前、古い物を大切にする奴だから呉れてやる、と頂戴し現在も抱えています。 1898 年に、フランスの科学者ポール-ルイ・シモン Paul-Louis Simond (第3のパンデミックと戦うために彼もまた中国に来ていた)がこの病気を運ぶ媒介者ネズミノミを発見した。病に掛かる為には病気になった者は互いに接近している必要が無いと彼は記している。中国の雲南では住民はラットの死体を見るやいなや家から逃げ出したものだし、Formosa 島(台湾)では死んだラットを手にすることはペストを拡大する危険性を高めると住民は考えて居た。これらの観察は ペストを伝達するに当たり、ノミがひょっとして仲介的要因かも知れないとの疑いに彼を導いた。と言うのは、24時間以内に死んだラットに接触した者に限りペストに感染したからである。今や古典的となった実験に於いて、シモンは、ペストで死んばかりのラットから、感染したノミが健康なラット飛び乗り、その後にペストを発症して死亡することを示した。米国での流行は1900年から1904年に掛けてサンフランシスコのチャイナタウンで広がり、次いで1907年から1909年に掛けてオークランドとイーストベイに拡大した。それ以降ペストは北アメリカ西部の齧歯類に存在し続けている。これは、通商を通じて流行が次々と起こるとの風評を危惧し、当局がチャイナタウンの住民の死を隠したからだが、そうしている間にペスト菌が周辺の辺鄙な地域に棲息する野生齧歯類に広範囲に伝搬してしまったからである。------------------------------------*2020年6月7日附け AFP BB NEWS の記事に拠ると、 『伝染病とマスクの歴史、20世紀満州でのペスト流行で注目』https://www.afpbb.com/articles/-/3284745以下引用■ペストのヒトからヒト感染を訴え、無視された中国人医師(中国人の若き医師)ウーは同僚たちに対し、この病気が腺ペストのようにネズミについたノミを介してうつるだけではなく、ヒトからヒトにも感染することを信じてもらおうと必死に説いた。英セント・アンドリュース大学(University of St Andrews)の医療人類学者クリストス・リンテリス(Christos Lynteris)氏によると、「ウーは、ノミを媒介しなくても、肺ペストで肺が冒される患者が、空気感染でペストを直接他の人にうつす可能性を示した」「これは非常に革新的で、当時としては、とんでもない考えだった」と言う。とあります。これは1910年の事ですが、既にノミがペストを媒介するのはシモンの業績に拠り明確となっていましたが、ウーは(広義の)空気感染経由でも感染が成立する事を見抜いていた訳ですね。 |
||