Ken's Veterinary Clinic Tokyo

相談専門 動物クリニック

                               




























院長のコラム 2020年9月5日


ネズミの話36 腺ペスト 黒死病と社会 反乱・鞭打ち






 

腺ペスト 黒死病と社会 反乱・鞭打ち




2020年9月5日

 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。

 ドブネズミを含めた齧歯類感染症のお話の第15回目です。ネズミとの関連では中世に爆発的流行をもたらした黒死病 Black Death について触れない訳には行きません。人類史に、また生物としてのヒトに与えた影響は甚大なものがありました。新型コロナウイルスも汎世界的な流行を見た点で pandemic ですが、解説を通じ、黒死病との類似点、相違点を考える為のヒントをお掴み戴ければ幸いです。その第10回目です。

 黒死病が当時の社会に与えた影響を重点的に見ていきます。



以下、本コラム作成の為の参考サイト:


https://ja.wikipedia.org/wiki/腺ペスト

https://en.wikipedia.org/wiki/Bubonic_plague


https://www.etymonline.com/word/bubonic


https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト

https://en.wikipedia.org/wiki/Plague_(disease)


https://en.wikipedia.org/wiki/Epidemiology_of_plague


https://ja.wikipedia.org/wiki/リチャード2世_(イングランド王)

https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_II_of_England


https://en.wikipedia.org/wiki/Popular_revolts_in_late-medieval_Europe


https://ja.wikipedia.org/wiki/ワット・タイラーの乱

https://en.wikipedia.org/wiki/Peasants%27_Revolt

https://en.wikipedia.org/wiki/Wat_Tyler


https://ja.wikipedia.org/wiki/一揆


https://en.wikipedia.org/wiki/Flagellant

https://ja.wikipedia.org/wiki/笞罪







Richard II of England meets the rebels of the Peasants' Revolt

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/33/Jean_Froissart%2C

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Jean Froissart / Public domain


ワット・タイラー率いる農民の反乱軍と会見するリチャード2世

(ワット・タイラーの乱 1381年5月30日 - 1381年11月)


乗船中の左から3人目(薄茶のジャケットの人物)が英国王リチャード2世(在位:1377年

- 1399年)です。専制君主でしたので農民や他の貴族からの反発根強く、反乱に見舞わ

れたのでしょう。敵(反乱軍、右側の青い一団)に取り込まれぬよう船上からの交渉策で

しょうか?最後は従弟のヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー4世)ら貴族層のクーデ

ターによって王位から追放されました。ペスト流行後少ししてからの出来事ですが、世に

動乱勃発の機運がまだ渦巻いていたのでしょう。一方、カンタベリーの農民の反乱軍の指

揮を執ったワット・タイラーは国王との2度目の交渉中に暗殺され、この反乱は潰えました。






*民衆による反乱 (Popular revolts) とは、分かり易く言えば、田園地帯では領主に対する農民の一揆、また都市部では貴族や国王に対するブルジョワ階級の謀反であり、中世後期にはしばしば勃発しましたが、ペスト流行に伴う社会の混乱がこれに拍車を掛けました。域内の隣人がバタバタと死んでいく中で、碌に対策も講じることの出来ない支配階級に対する、困窮した彼らの精一杯の抵抗、蜂起とも言えるでしょう。まぁ、組織化、軍事化された米騒動みたいなものでしょうか。


*その様な Popular revolts のよく知られた例としては、黒死病の最大流行時よりは幾らか後になりますが、英国に勃発したワット・タイラーの乱が有名です。1381年にカンタベリーの農民が蜂起すると、ワットタイラーはこれを指揮しロンドン市内まで行軍しました。国王リチャード2世と交渉し、人頭税制定の廃止や経済、社会システム改善への要求を行いましたが、スミスフィールドでの2度目の交渉の際に国王側に支える者に暗殺され、反乱は潰えました。


*その頃本邦は鎌倉幕府が滅亡し室町時代が始まった頃ですが、南朝と北朝に皇統が分かれての南北朝時代の只中にありました。まぁ、或る意味日本も動乱にありガタガタしていた訳です。この頃になると、一揆の定義に当てはまる騒動も日本各地で勃発し始めます。院長も学生時代に東大史料編纂所の桑山浩然先生主催の古文書学のゼミに参加したのですが、室町時代の裁判資料を幾つか読みました。僧侶が神輿(しんよ)を奉りて市中で暴れただのの訴状も有り、世の中の血がいよいよ滾り始めたものを感じましたが、異国でも同じ様な機運に満ちていたのかも知れませんね。中世から近世への幕開けが始まったとも言えるでしょう。






Woodcut of flagellants (Nuremberg Chronicle, 1493)

Illustrations from the Nuremberg Chronicle, by Hartmann Schedel (1440-1514)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nuremberg_chronicles_-_Flagellants_(CCXVr).jpg

Public domain


鞭打ちの木版画

これは黒死病 pandemic 発生後150年程度経過した時代のものとなります。

勿論この時代にも各地でペストの小流行は繰り返されていました。

宗教的苦行としての鞭打ちは黒死病流行の際に特に広まりました。




チベット、最上の礼拝、五体投地「グループ」

2018/10/05 sanbaba world


今回の旅の大きな目的はチベット最上の巡礼方法「五体投地」をこの目で確認する事。

実際、目の当りにして想像以上に厳しくチベット人の信仰心の強さに脱帽。又、修行中つ

かの間の休憩にくつろぐ巡礼者の笑顔、もうたまらんぐらいに感動、手を合わせて

拝みたくなる心境だった。

https://youtu.be/QPPE7djOqYA


鞭打ちとは異なりますが、これも苦行であり、仏に対する

最大の崇敬の念の発露でもありましょう。





*自らの身体に鞭打ちする行為は、一種の宗教的行為としてヨーロッパにて古来より行われて来ましたが、黒死病の流行中に最盛期を迎えました。これは磔刑を受けたキリストの苦しみを体現し、宗教的境地を高めようとする行為とも言えますが、インドのヨガ行者の苦行(頬に金属の串を刺しながら行進するなど)、日本の仏教の千日回峰行などの荒行などにも類似するもので、各地の宗教に様々な形で見られる様に思います。尤も、乾布摩擦などと同様に血液循環を改善し自律神経系に刺激を与え得る点で、ペスト感染に対する免疫力を上げるのにひょっとして幾らかは役立った可能性もあります。現世的ご利益としては、自分は敬虔なキリスト教徒であると苦行を通じアピールし、神に気に入って貰い、ペストから我が身を守って呉れ、とのメッセージとなります。

*西洋社会の様々なシーンに登場する鞭打ち行為は、日本人には馴染みの薄い行為です(刑罰としては明治初期まで存在はしていました)が、家畜の尻を鞭打ちする家畜文化との関連は確実にありそうに見えます。聖書に、spare the rod and spoil the child 鞭を惜しむと子供が駄目になる(可愛い子には旅をさせよ)なる有名な言葉があります。動物としての生身の肉体を持つ人間ゆえ物理的に引っ叩くことの<効能>が肯定されている訳ですが、現在は児童虐待と訴えられそうで・・・。

*東大寺二月堂の修二会(お水取り)は悔過(けか)(過去の過ちを懺悔する)法要ですが、二月堂の礼堂に出た練行衆が、はね板に体を打ちつけて五体投地を行います。まぁ、懺悔、贖罪の気持をぶつける為の痛みを自身に与える行為ですが、西洋の鞭打ちにもこの様な懺悔の気持が含まれているのかもしれません。勿論、これは信心の証でもあるのでしょう。