ネズミの話38 腺ペスト 黒死病と社会 文学 |
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2020年9月15日 皆様、KVC Tokyo 院長 藤野 健です。 ドブネズミを含めた齧歯類感染症のお話の第17回目です。ネズミとの関連では中世に爆発的流行をもたらした黒死病 Black Death について触れない訳には行きません。人類史に、また生物としてのヒトに与えた影響は甚大なものがありました。新型コロナウイルスも汎世界的な流行を見た点で pandemic ですが、解説を通じ、黒死病との類似点、相違点を考える為のヒントをお掴み戴ければ幸いです。その第12回目です。 人類史、特に社会と文化との関係について引き続き解説して行きましょう。 以下、本コラム作成の為の参考サイト:https://ja.wikipedia.org/wiki/ペストの歴史https://en.wikipedia.org/wiki/Epidemiology_of_plaguehttps://ja.wikipedia.org/wiki/ジョヴァンニ・ボッカッチョhttps://en.wikipedia.org/wiki/Giovanni_Boccacciohttps://ja.wikipedia.org/wiki/デカメロンhttps://en.wikipedia.org/wiki/The_Decameronhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ジェフリー・チョーサーhttps://en.wikipedia.org/wiki/Geoffrey_Chaucerhttps://ja.wikipedia.org/wiki/カンタベリー物語https://en.wikipedia.org/wiki/The_Canterbury_Taleshttps://ja.wikipedia.org/wiki/ロンドンの大疫病https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Plague_of_Londonhttps://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Pepyshttps://ja.wikipedia.org/wiki/サミュエル・ピープス100万人が埋葬されるNYの島、新型コロナでも結核、黄熱病、エイズ――感染症で繰り返される悲しみの歴史https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/041500236/マルセイユの大流行https://en.wikipedia.org/wiki/Great_Plague_of_Marseillehttps://ja.wikipedia.org/wiki/マルセイユ |
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社会と文化ペスト大流行に関連する死者並びに社会変動の規模は、この疾病が最初に認識されて以降、数多くの歴史的並びに架空の物語に於いても、このテーマを突出したものとして来ている。特に黒死病は、同時代の多数の文献で記述され言及されている。これらの内の幾つか、例えば、チョーサー、ボッカチオ、ペトラルカなどは現在、西洋の古典規範と考えられている。ボッカチオのデカメロンは、黒死病から脱出せんと人里離れた別荘を求めフィレンツェから逃げ延びた者達から成るストーリー仕立てとしていることでよく知られている。黒死病の年代を生き抜いたと時に大々的に取り上げられ或いは小説化された実録物もまた、時間と文化を超えて人気が途切れることが無い。例えば、サミュエル・ピープスの日記は 1665年のロンドンの大ペスト Great Plague of London の経験当事者としてこれに数多く言及している。アルベルト・カミュの小説 『ペスト』 やイングマール・ベルイマン監督の作品 『第七の封印』 などの後の作品は、様々な概念を探索する為の背景として、例えば中世または現代の隔離された都市に於ける腺ペストを設定に利用している。それらの主題は、ペスト流行時の社会、組織、個人の崩壊、文化的また心理学面での生か死かに直面する問い掛け、また、その時代の道徳上の或いは精神的疑問に対して、ペストを寓話的に利用する点で共通している。 |
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*14世紀半ばに pandemic となったいわゆる黒死病 Black Death 以外にも、18世紀に至るまでヨーロッパ各地で散発的な流行がたびたび発生し、死者の数は数万〜数十万人程度に達しました。例えば、フランス南部の地中海に面した港湾都市マルセイユでは、1720年にペストの大流行を見、その年に10万人が、次の2年間には更に5万人が、また近郊の町で5万人が死亡しました。人口が1720年レベルに回復したのは1765年になってからでした。 *1665年のロンドンの大ペスト Great Plague of London では18ヶ月の間にロンドンの人口の1/4に相当する10万人が死亡しました。それ以前にも小流行は散発していましたが、これは記録に残る英国での最後の大流行となりました。この流行は1599年から間歇的に流行を見ていたアムステルダムからの綿花運搬船が直接的にはもたらしたものとも考えられています。流行に伴い、国王チャールズ2世や貴族はロンドンから疎開しましたが、庶民階級は生活や見通せない将来への不安ももあり家を簡単に離れることもできませんでした。ロンドン市の城壁を抜けるためにはロンドン市長に拠る健康証明書が必要となりましたが、やがては近隣の村も証明書の有無に拘わらずロンドンからの者の受け入れは拒否するに至りました。この辺は、今回のコロナ禍に於ける、都市民の地方への受け入れ拒否圧力にも類似して興味深く思います。僅かに少数の医者、宗教指導者、薬剤師がロンドン市に残り、犠牲者に対応しましたが、彼らの仲間の多くも逃げ出した訳ですね。 *現在でも致死率の高い感染症ですが、当時の都市部の衛生的とは言えない環境並びに治療薬も無い状況ゆえ、一度流行を見ると鎮火させることが不可能となり、爆発的な感染拡大の前に為す術が無い事態を招いたことは容易に想像出来ます。薄情な様ですが、身を守るためには<逃げるが勝ち>しか取り得ない話になります。 *重症者への看病・移動や死体処理時に、ヒトからヒトへの感染が生じ、あとは核分裂の連鎖反応の様に一気にそれが拡大し、短時間の内に同じ街に住む者はほぼ全員が感染したでしょうね。街を逃れて流出した者が次の街へと感染をもたらす図式です。ヨーロッパの都市は城壁で囲まれている例が多いですが、有力者はさっさと脱出し、残された者には城壁の門を狭くし、<あとは頑張ってくれ>の姿勢だったとも言えます。ロンドン市内では毎日が葬列と棺の埋葬作業でしたが、これは現在ニューヨークのブロンクスのすぐ東に浮かぶハート島の無縁墓地に、引き取り手のない新型コロナウイルスの犠牲者を連日多数土葬しているシーンにも重なります。 |
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*この様な、逃げようのないペスト禍からの重圧感は、イングマール・ベルイマン監督の作品 『第七の封印』 にも描かれていますが、この映画は寓話化を強めた作品と感じられ、阿鼻叫喚の生き地獄を生々しく表現するものではありません。但し、時間差でその恐怖がじわじわと胸に迫るところはあります。 *アルベルト・カミュの小説 『ペスト』 を、コロナ禍と絡めて読んだ方も少なくはないと思います。『サミュエル・ピープスの日記』 は邦訳されています(国文社、1987年 -2012年。臼田昭・海保眞夫・岡照雄訳、全10巻)が、現在全巻入手するのは難しく、また価格が高騰している巻があります。因みに院長は勇んで 『ペスト』 のフランス語版をアマゾン kindle で購入(351円)したのですが、入手後に読み通す気力に足りないことに気が付きました。漫画版の 『ペスト』 も数冊出ていますので概略を手っ取り早く掴みたい方には如何かと思います。と言いますか、漫画版の方が早く絶版にもなりそうで、資料として入手したい方は早めにそうした方が良いかもしれません。 |
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